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なぜこの世界は私だけではなく、わたし以外の人もいるのか?#02

よく心理学の世界で、他者は自分の鏡と言います。他者を観察することで、無意識的に嫌っていた自分の一面を見ることができると。


それは、目の前にいる人も同じ。


もし、わたしがあなただったら、わたしであるあなたも、わたしなのです。


あなたはわたしで、わたしはあなた。


お互いがお互いの投影なので、究極的には同一人物なのです。


では、なぜこの世界は、わざわざ、「私」という存在を、一人称の「わたし」と、二人称のわたしである、「あなた」に、意識を分け、そして「わたし」であるはずの「あなた」とわざわざ関係を作るのでしょうか?


今回は3つの記事に渡って、そんな「わたし」の不思議を、意識の視点から考察します。

目次

前回のあらすじ

前回は、私の存在が、主観的な主体である「わたし」と、客観的な主体である「あなた」の2つの形で表せ、そして、3つの「あなた」の形が存在することで「わたし」の存在が維持されることを理解していきました。その3つとは1つ目は、「わたし」の中にいる「あなた」。2つ目は、目の前にいる「あなた」。そして3つ目は、目の前にいない「あなた」です。

さて、前回では単体の「あなた」に注目しましたが、実際の世界では複数の「あなた」に遭遇します。今回は複数の「あなた」の謎に迫ります。

「わたし」にとって複数の「あなた」がいる意味

さて、この「あなた」という存在が、なぜ沢山必要なのでしょうか?

まず、存在する事のメリットを考えながら、意味を考えてみましょう。

メリットは、「わたし」に存在する無識的な側面をぶつ切りにして認識できることです。つまり、「わたし」に関わる「あなた」が多ければ多いほど、より細かく自分の無意識的な側面を確認する事ができるのです。

つまり、「あなた」がいないと内省を通してのみでないと、自分の無意識的な性質に触れられません。

そして「あなた」に現れる「わたし」は、統合しきれていない、分離してしまった「わたし」。なので、「わたし」であるはずの「あなた」が、「わたし」から分離して、「あなた」になるのです。

すると、「あなた」が存在する理由をこう捉えられます。「『わたし』が統合しきれていない無意識的な側面を統合するために「あなた」が存在する。」です。

なので、統合できないと、「あなた」がさらに増えていく、つまり、統合の必要な課題が増えます。そういう意味では、人口増加は、分離が増加している象徴なのかもしれませんね。

脳に現れる「あなた」

今までは少し哲学的でしたが、この「あなた」は「わたし」の投影という理解は脳の脳神経に現れます。

それをミラーニューロンと呼びます。このニューロンは、目の前の相手の脳神経活動が、自分の脳神経活動に投影される現象です。

この説明だと、「あなた」の投影が「わたし」の様に聞こえますが、実際はお互い同時に起こる現象です。

量子場論をベースに意識を説く、イタリアの物理学者、グセッペ・ヴィチェロ教授のダブル理論によると、わたし達の脳は脳神経を包む水分子の量子場の状態が私たちの意識の状態を定義すると説明します。そして、その量子場の状態は、目の前にいる人の量子場の状態を合わせて、新しい量子場を形成します。その時できた量子場は、フラクタルなので、自分の意識の中に、目の前の人の情報が織り込まれています。それは、目の前の人もしかり。なので、科学的に「あなた」の意識を構成するのは、「わたし」であり、「わたし」の意識を構成するのは「あなた」とわかります。

「あなた」が無くなるとき

「あなた」は、統合しきれていない「わたし」という話をしました。

では「わたし」が「あなた」を統合し切ったらどうなってしまうのでしょうか?

答えはシンプルです。皆んな「わたし」になるのです。

「じゃあ、みんないなくなって、『わたし』だけになるの?」

そう聞こえてきそうです。

そういうわけではありません。
目の前にいる人々はそのまま。ですが、彼ら全員を「わたし」と、腹から認識することになります。

つまり「わたし」というアイデンティティが、個人から複数人に広がるのです。
しかも、物質的に分離したまま!

一番身近な例は、出産したばかりのあかちゃんでしょう。大抵、生まれたばかりの赤ちゃんは「あなた」ではなく、「わたし」とイコールな存在と捉えると思います。なので、「わたし」をケアしているかの如く、赤ちゃんをできる限りケアします。

ですが、赤ちゃんは成長し、12年ほどで、ある程度の自己意識を形成しますので、母親の「わたし」から分離し、独立した個人の「あなた」となり、「わたし」の無意識が投影され始めます。

「わたし」と「あなた」から見える人類共通のテーマ

このブログでは度々登場する、秘教やカバラの世界では、神の意志はなどの精神世界的や、この物質現実に神と同じ世界を生み出すことと説いています。神の世界の意識は、全てが「わたし」。なので、物質世界でも「わたし」を統合して、全て「わたし」を実現しようとしているのでしょう。

ですが、物質世界の基本システムは、分離です。でないと、物質的側面を持った実体が、個体として存在を維持する事ができません。

つまり、分離を超えた統合を試されていることがわかります。言葉を変えると、個々人のアイデンティティを保ったまま、そのアイデンティティを超えた本質的な繋がりに戻る、つまり、より進化した統合を試されているのです。

これこそが、人類共通のゴール。そしてこの進化した統合を実現する最低限の意識レベルが「愛」です。

アメリカの心理学者で意識の専門家のDavid R Hawkin博士によると、「愛」の意識レベルで生きる人は、目の前の物事の本質が明らかになっていくようです。
それは、物質的には別々な存在として見えるが、実際は1つの同じ意識だと、捉えられるようになることです。すると私たちは、同じ「わたし」を尊重し、お互いを大切にすることができるようになります。よくよく考えてみると、私たちが手に入れたと思う全てのことは、与えられています。それこそ生命活動を維持する最低限必要な「酸素」でさえ、与えられています。つまり、酸素を生成する存在、例えば植物などは、酸素を必要としている存在に無償で酸素供給をしてくれているのです。なぜなら、それらは、生物として存在している全てを「わたし」と捉え、尊重し大切にしているからです。また、酸素をもらった生物は、自らの排泄物を肥料として、時には自分の亡骸までも肥料として植物に与えます。

といっても、植物や(ペットを除く)動物には自由意志がありませんので、基本的には無意識的に「わたしの一部」がベースになっています。ですので、自動的に地球の一部として活動するようになっている植物や野生動物が、地球のサイクルを壊すことがないのです。ある意味すでに統合されているのです。

ですが人間は別です。私たちには自由意志があります。つまり独立したアイデンティティがあるのです。

なので人類にとって、この「統合」、又は、「1つの意識になる」ということは、個々の存在が大きな存在(存在の集合でできた存在)の一部として、どのような仕事をするべきかを認識し、全うすること。言い換えると、地球という大きな体の一部である私たちが、大きな体を最適に機能させるための役割に一人ひとり気づくこと。私たちが、「地球意識」になったとき、物質世界での統合が惑星レベルで完了します。

これを実現するキーポイントは、どれだけの「あなた」を「わたし」として繋がっていけるかです。
なので人は「私利私欲に走ってはだめ」と感覚的に気づいているわけですが、本質的にはこのような背景が存在します。

次回

次回は実際の人生に当てはめて、「あなた」が「わたし」に統合されるとどうなるかに注目していきます!それでは、次回のブログでお会いしましょう!🌈

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