なぜこの世界は私だけではなく、わたし以外の人もいるのか?#01
よく心理学の世界で、他者は自分の鏡と言います。他者を観察することで、無意識的に嫌っていた自分の一面を見ることができると。
それは、目の前にいる人も同じ。
もし、わたしがあなただったら、わたしであるあなたも、わたしなのです。
あなたはわたしで、わたしはあなた。
お互いがお互いの投影なので、究極的には同一人物なのです。
では、なぜこの世界は、わざわざ、「私」という存在を、一人称の「わたし」と、二人称のわたしである、「あなた」に、意識を分け、そして「わたし」であるはずの「あなた」とわざわざ関係を作るのでしょうか?
今回は3つの記事に渡って、そんな「わたし」の不思議を、意識の視点から考察します。
目次
- ○ 「わたし」だけだと成立しないこと
- ○ 「わたし」と「あなた」
- ○ 「わたし」を維持する色々な「あなた」
- ・「わたし」の中にいる「あなた」
- ・目の前にいる「あなた」
- ・目の前にいない「あなた」
- ○ 次回
「わたし」だけだと成立しないこと
どうやらこの世界には「わたし」だけで成立しないことがあります。
それは「わたし」という存在の維持です。
「わたし」という存在を保つには、自己を認識し続ける必要があります。これは、量子ゼノ効果でも認められる現象で、それを自己意識(Self-conscious)と言ったりもします。
*量子ゼノ効果:ある素粒子を観測し続けると、その素粒子の状態は変わらない。観測をやめると状態が変わる。(放射性崩壊でも見られる量子の世界の不思議)
私たちは常に、私たちに備わる感覚機能を通して、「わたし」の存在を鏡の様に映し出し、認識します。これは一番身近な自己の投影です。これによって自己意識を安定的に維持します。
意識の問題を専門とするドイツの哲学者、ヨハネス・ヘンリックによると、投影された自己は、その起源である「わたし」ではなく、わたしから出た自己、すなわち「あなた」になります。
なので2つの種類の自己が現れます。
・主観的な主体(自己):わたし
・客観的な主体(自己):あなた
「わたし」と「あなた」のどちらも主体ですが、「わたし」を投影すると客観的に「わたし」を認識できるので、わたしの投影は客観的な主体(自己)、「あなた」です。
この理屈でいくと、鏡に映る自分の姿も、「わたし」ではなく、わたしが投影された「あなた」です。するとわたしは、「あなたになったわたし」を再認識します。これは内省と全く同じ事が起こっています。
さらに、わたしの目の前に立つ、自分以外の存在も「あなた」です。つまり、「わたし」の投影ですので、「あなた」はどんな存在であろうと、本質的には全て同じ、「わたし」のエッセンスを投影する存在なのです。
なので私たちは日々、客観的な主体である「あなた」を通して、主観的な主体である「わたし」を維持する事ができるのです。
「わたし」という存在を維持するには、「あなた」が必要不可欠なのです。
「わたし」と「あなた」
「わたし」を意識する「あなた」は、「わたし」を維持する、大切な存在でという話をしました。
当たり前なのですが、それと同等、「あなた」の維持には「わたし」が必要不可欠です。
「わたし」と「あなた」はお互いの存在を維持し合う、切っても切れない関係。片方が存在すると同時にもう片方も存在する。まさに量子もつれ状態の素粒子のペアや、電場と地場の様な関係なのです。
「わたし」を維持する色々な「あなた」
「あなた」には、いくつかの形が存在し、それぞれ「わたし」の存在を形成する別々の側面を担当します。
「わたし」の中にいる「あなた」
*「わたし」の顕在的な側面を維持
* 普段「わたし」を感じる知覚や、内省して見える自分のメンタルイメージ
*「わたし」の身体、感情、思考など顕在的な性質を映し出す。
目の前にいる「あなた」
*「わたし」の無意識的な側面の維持
* 会う頻度が多いほど、より鮮明に無意識的な側面を映し出す。
*「わたし」の世界観、価値観、人生観や、普段気づかない思考パターンなど潜在的な性質を映し出す。
目の前にいない「あなた」
*「わたし」の集合無意識的な側面の維持。
* 普段会うこともない人たち。例えば「〇〇会社の人たち」、「日本人」など集合として捉え、その集合に共通する無意識的な側面。社会のルールや、文化的影響の様な個人の背景的性質を映し出す。必ずしも人でなくても、人によって概念化された物事(例えば学校の様な人でない対象)にも当てはまる。
「あなた」のそれぞれが、「わたし」という単体のアイデンティティを構成する様々な要素を維持しています。
次回
次回は「あなた」が存在する意味をさらに掘り下げて考察していきます!それでは、次回のブログでお会いしましょう!🌈