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ISHIKI AWAKEN SUMMIT 

神の意識の探究

皆さま、おはようございます🌞


今年のISHIKI AWAKEN SUMMITも終わり、まだ10月なのに年末感覚な、イシキスムージーのユウキです🌈


昨日はそのサミットの最終回でして、ゲストでご登場いただいた、日本エドガー・ケイシーセンター会長で、霊学の実践者である、光田秀(みつだしげる)先生と神の存在について考察を深めました。


この記事では、その際得た考察を記録したものです。


YouTubeライブを見逃した方は、こちらから見てね!📺

https://youtu.be/eUw40A5ravA

目次

神はどこにいるのか?

そもそも、「神」という存在は抽象的です。それ故、色々な解釈や、「そもそも存在しない」と結論づけられやすい対象でもあります。

光田先生とのお話を通して、神の存在はいたる所で見出す事ができることが解りました。

ポイントとしては3つ。

1)美しい物事
心から純粋に湧き上がる「美しい」と感じる気持ちや、見て触れるだけで調和を感じる物事

2)計画されたような偶然性
偶然とは思えないような、あたかも完璧に計画されていたような出来事

3)インスピレーション
自分の知識や経験だけでは至れないほどのインスピレーションやアイデアが生まれた時。

光田先生曰く、エドガー・ケイシーのリーディングでは、「神は全ての人の名前を知っている。」そして、「私たちは神の庇護の下にある」と言っています。つまり私たちは意識していようと、してまいと、毎日いずれかの形で「神」に触れています。体感的には神を意識すればするほど、存在感が顕著になっていく感じがします。

どうすれば神の存在を感じれるようになるのか?

神を意識して、神との関係を深めていくことが必要です。

当たり前の話なのですが、全く接点のない人から連絡って来ないですよね?
接点がない人と繋がることは、「間違い電話でたまたま話せた」ぐらいレアだと思います。

つまり、神の存在を感じたいのであれば、神を意識し、関係を築いて行く必要があるのです。

そして、神を意識するとは、「日常に現れるいかなる出来事から神を感じること」です。

すると神を感じる感度が研ぎ澄まされていき、その存在が確固たるものになっていきます。

いくら神の介入があったとしても、それに気づかなければ、いつまで経っても神との関係も深まらなければ、感じることもできません。

必ずしも啓示やお告げだけが、神の現れ方ではないのです。

神が介入したくなるなること

私たち人間は、良くも悪くも、「何かしたい!何かを生み出したい!」などの欲があるので、文明や社会が生まれ、発展してきました。つまり、「何かがある、生まれる」とは、誰かが望まない限り在り得ないわけです。

宇宙もそうなわけでして。やはり神が求めて生まれています。

では、神の持つ欲と、人の持つ欲の違いは何なのでしょうか?

それは、「調和」を乱さないかどうか。

調和とはオーケストラのように、様々な音色や旋律が美しく重なり合い、より大きなエネルギーとなって響き渡るようなこと。

光田先生がシェアしてくれた、エドガー・ケイシーのお話しの一つに、「神が喜んで助けてくれる欲を持ちなさい。」というものがありました。

神が喜ぶとは、この世界をさらに美しい調和へ導く欲。つまり祈りと同等の欲が、それに当たるのだと思いました。

でも最初は、どんな欲が神が喜んで介入してくれるのか分からないと思います。

もし神との関係性を築き始めたばかりなのでしたら、それはそのはずです。

僕はデザイナーでもあるのですが、何かを作るときは必ず、それを届けたい方々との関係性を深めることで、彼らが何に悩み、何を必要としているのかを理解します。

神の場合でも、それと全く同じだと思います。神が何を喜び、何を望まないのか、神との関係を深めて行くと自ずと開示されいきます。

エドガー・ケイシーは、「欲を精錬の坩堝に入れろ。」と言っていたと光田先生が教えてくれました。これはまさしく、欲を、「神との繋がり」を通して、より純粋な欲に鍛錬して行くという事を言っているように思いました。

この様な「欲」の下で行う創造活動は神が介入したくなり、神の加護を受けるようですね😊🌈

余談ですが、エドガー・ケイシーのリーディングで、「神のいない思想は危険。」と言っています。つまり全ての根本に神があるという事を忘れて生まれた思想、科学、技術、ビジネスなど、それらは調和を乱す因子となるようです。これらは神の介入は望めないでしょう。なぜなら神をそもそも意識していないからです。

神はいるのか?

私たちは見えないものを頑なに信じない傾向がありますが、光田先生とのお話しを通して、実は神とはハッキリ見える存在だと改めて気付かされました。

ただ、僕たちがイメージする形で表れていないだけという事だとおもいました。

ひとまず、「神はこう在るべき。」という固定概念を横において、純粋な瞳で目の前の出来事や物事に意識を向けて見ることから始めてみるのはいかがでしょう?😊

光田先生のお話しは、何度聞いても毎回新たな発見と気づきのあります。ライブ中は、まるでアリジュナとクリシュナの掛け合いのような素敵で悟り多い時間を過ごすことができました。

まだまだ若い僕の、辿々しい質問にも熱心に、そして快く答えてくださる、本当に魂を見て人と接しているのだと感じました✨

光田先生、本当にありがとうございました😊

そうだ!最後に一つ!
神様にお願いするときは、「あなたの御心にかなうのであれば」と入れると良いそうです!
なぜなら、純粋な欲であれば、介入が入り、そうでない場合は介入してこないので、自分の欲のレベルがわかります!😆
ではまた次回のブログでお会いしましょう〜〜🌈

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