イシキの探求:観測者とは?
皆さん、こんにちは🌞
イシキのユウキです🌈
今回の記事は少し、科学的で哲学的な内容ですが、好きな人は大好物なトピックだと思うので、最後まで読んでね✨
「観測(測定/Measurement)」とは、量子論における最大の謎です。
なぜ「観測」という行為が、量子の世界の調和を崩し、物質現象として物事の状態を決定づけるか、(これって、それぞれの観測者が、絶えずそれぞれの小宇宙を生み出しているってことですよね...)
そもそも、何が、そしてどのタイミングで「観測」となるのか?つまり、「観測者って誰!?」問題です。
今日は、そんな物事を生み出す「観測」の不思議を見つめて行きます。
(余談なのですが、この記事は去年の2023年に書いていたみたいですが、投稿をすっかり忘れて2024年にやっと投稿できました😅)
目次
観測とは
量子論(量子の世界や挙動の解釈、有名な量子論はでコペンハーゲン解釈)では、観測していない量子的な存在の状態は、未確定といわれています。
有名な例で例えると、シュレディンガーの猫🐈です。
外側から見えない箱の中に、猫と毒ガスを入れます。毒ガスのスイッチは、放射性物質の原子核からランダムに飛び出る陽子を検出する検出器です。
つまり、原子核が陽子を吐き出したか、吐き出していないかは、見えない箱の中なので、どちらの結果(状態)も同時にあり得る「量子の重ね合わせ」の状態になります。これを量子共鳴とも言います。
ですが、一度箱の中を見てしまう(観測する)と、「どちらも」ありえた結果から、「どちらか」の結果へ収束します。
つまり、「観測」という行為は、あり得る全ての結果から、一つの決定的な結果を生み出す行為というわけです。
これは実験的に発見された不思議な物理現象で、量子力学を研究する全ての研究者は、「観測」ありきで研究しています。
では、観測は何/誰がするのか?
だれが観測者?
ハイゼンベルグの不確定性原理で有名なハイゼンベルグが、この観測と未観測の境界線を説明したハイゼンベルグ・カットという図があります。
この図には大きな円と、その中にもう一つ、破線で表した円があります。円の中は量子システム、破線が観測、又は、量子システムの収束、破線の外側は、決定論的な古典システムの世界です。
量子システムとは、量子の世界のルールで物事が振る舞う場所。
古典システムとは、ビリヤードのような原因と結果で物事が振る舞う場所。
量子システムの収束とは、量子の世界にいた存在が、古典の世界に引っ越しさせられる原因となる物事。
ここで問題になるのが、誰が、又は、何がこの破線の役割をしているのか?つまり、誰が/何が観測しているのかという事です。
実はこの議論は量子論が生まれて以来、永遠に続いている問いで、未だに納得できる結論に辿り着けていない量子力学の七不思議なのです。
現状は大きく分けて2つの考えられる「観測」が存在します。
1つ目は、物理的な観測。つまり、測定器や、重力波、電磁波などの量子システムの外側(環境)に存在する物理的な要素が、量子共鳴に干渉して、量子状態が収束するという説明。この視点は直感的で分かりやすく、多くの科学者が想定している「観測」のメカニズムです。
2つ目は、意識(精神)の干渉です。こちらは、量子システムに精神的な干渉があり、量子状態が収束するという説明。そもそも主観的な要素を切り離して、客観的に物理現象を研究する現代の科学の信念に相反する説明なので、こちらはマイノリティです。
物理的な観測者
まず一つ目の説明である物理的な観測には欠陥があります。それは、物理的な干渉が「測定」とした場合、とてもおかしな永久ループ♾に陥ってしまいます。
例えば、とある量子システムがあったとします。そこには電子がスピンしています。そのスピンの向きを知るために、電子の周りにある磁場の状態を検出できる検出機があります。
もし物理的な干渉が量子システムの収束とするならば、検出機が電磁場を検出したタイミングが「観測」と呼べるでしょう。
ですが、検出機のどこに電磁場が触れた瞬間が「観測」なのかと、検出機そのものを、分子のスケール、原子のスケールと、どんどんズームインしていくと、ついには量子スケールにまで到達してしまいます。ですが量子スケールは原則的に未観測でしか存在し得ない世界なので、結局何が実際に「観測」となるかを解明することができず、探究は振り出しに戻ってしまいます。
重力が観測者?
実は、量子システムを収束させる物理的な干渉には、他の可能性も考えられており、2020年ノーベル物理学賞を受賞したロジャー・ペンローズは、重力が量子共鳴を収束させると唱え、それを客観収束理論(Objective Reduction)と名づけました。
ですが、これもスッキリしないのです。
なぜなら、「重力が観測者」として量子システムを収束させたのであれば、量子状態であった存在が、ある状態に収束する、つまり現象化するわけで、私たちのような観測者が存在しなくても、機械のように世界が回っているという事になります。
なんだか根本的な問いかけ(視点)を変える必要があるように思います。
何故なら、もし意識を持った人がいなくても、機械のように世界が回るのだとしたら、なぜ私たちには「感じる(体感や体験)」という作用があるのでしょうか?人も物理システムの一部で、機械のように世界を維持する歯車の一つなのであれば、「感じる」という機能は全く必要がないわけです。むしろ感じない方が、「今日は働きたくない気分〜」の様な、ダダをコネないので、歯車としては働きにムラが無く最適です。
これは意識の哲学では文字通り、「難しい問題(Hard Problem)」と呼ばれており、多くの学者を悩ませている意識の不思議です。
では、もし「感じる」ために、現象が存在すると仮定したらどうでしょうか?
「感じる」が観測者
「感じる」ために現象が存在すると仮定すると、この観測者の問題がとてもシンプルになります。
ここで言う「感じる」とは、五感を通して物理的に脳へ送られる電気信号のことではなく、その信号に意味付けをして「意味理解」した状態をさします。つまり、五感が「物理的な体験」とするならば、外的刺激に対応する「感じる/意味理解」は、「精神的な体験」です。
シンプルに言うと「知る」行為です。
「知る」には、それを知る人、意識(精神)を持った「主体」が必要なわけです。
「知る」ために現象が起こるのであれば、そこには「知りたい」という主体の「意図」が必要です。
つまり、「主体の意図」が、量子システムの状態に作用し、「主体の知る行為(知識)」が量子システムの収束を引き起こし、結果的に物理現象に意識の影響が映し出されます。
意識が観測者
この仮説を実験的に証明する事を試みたのが、当日ロケット推進エンジンを研究していたロバート・ヤーン教授を筆頭に、1979年にアメリカにあるプリンストン大学の地下に造られたPEAR Lab (Prinston Engineering Anomaly Research Laboratory) です。
そこは、いわゆるサイキック研究所で、13のポケットにめがけて、9000もの鉄球がランダムに落下する、巨大なピンボールマシーン(Random Mechanical Cascade)があり、そのピンボールマシーンを使います。
まず被験者に、鉄球の落下を「右」か「左」に向かうように念じてもらい、鉄球の落ち方を観察します。
すると、僅かですが被験者の意図に落下パターンが影響したのです。
これを量子のスケールに移して同じ実験を行った結果、明確な精神的な干渉を確認できたのです。
ちなみに、実験装置には電子を使った量子のトンネル効果から乱数(0と1をランダムに生成)を発生させ、その乱数に現れる「偏り」を検出します。そして、発生された値(0か1)を「知る前」の値は、0と1の両方を有した量子の重ね合わせの状態です。
例えば、0と1の乱数を200回生成するとします。乱数なので、0と1が生成される割合は五分五分(100:100)です。ですが、乱数を観測する主体が「1」を意識すると、0と1の割合が「1」に偏ってくるのです。
ということは、「知りたい」という意図や意志は量子システムの収束の傾向を導き、「知る」事が量子システムを収束させ、そして、私たちは「知った」事を現実として捉えます。
結局、誰が観測者?
**結局、誰が観測者?
「知りたい」は、量子システムの状態に作用する、意図や意志。
「知る」は、量子システムの収束をもたらす観測行為。
意識の漢字からからも、この役割が見えてきます。
意識は「意」と「識」から成ります。つまり、「意」を「識」する、「知りたい(意図や意志)」事を「知る(観測)」のが意識なのです。そして私たちは意識した事を「知った」時、現実世界として知覚します。
これらの考察から見えてくる、観測者の実態は、
観測者:「意」、「知りたい」、「意図や意志」を持った主体
観測:「識」、「知る」、行為
観測結果:「知覚」、「知った」、認識、現実
つまり観測者とは、「意」であり、「意図や意志」を持った主体です。
これを霊学的言い換えると、ボディ・マインド(ソウル)・スピリットのスピリットが観測者に当たります。
そして、私たちは観測したい(知りたい)事を、観測しているという、つまり気づいていても、いなくても、目の前に起こる全ての事には私たちの意図がある事が了解でします。
私たちは観測したい世界を観測する
精神世界において、「引き寄せの法則」ほど有名なワードは無いかと思います。
何か特殊なマインドセットや意識のトレーニングがいると思いがちな、「引き寄せの法則」ですが、ここまでの観測者の考察から、
「誰でも引き寄せの法則を使っている」ことが解ります。
ただ、思い通りの事が引き寄せられていない、つまり、「観測した事と意図した事」がズレているので、できてないと思っているだけなのです。
という事は、意図をより明確に捉えて理解することに努めれば、引き寄せ力がより向上するわけです。
*他人軸ではなく、最低限、自己中心的なエゴ軸に自分の意識があることを前提としています。
もう一度、「知りたい」、「知る」、「知った」の関係で理解していきましょう。
引き寄せは、思った願いそのものや、その願いを実現させるのに必要な物事が、自ずと人生に現れ、引き寄せられたように感じる現象です。
ということは、「知りたい」(願い)、を「知る」(引き寄せ)ことで、「知った」(現実化)が現れることです。
先ほども言いましたが、「知りたい」は意図や意志、「知る」は観測(知識)、「知った」は知覚や現実です。
つまり、「主体の知りたいこと」に対する、「主体の知識や理解」を、「自ら知覚する」事をさせているのが、引き寄せの法則なのです。
ということは、引き寄せがうまく起こらない理由は、主体の意図を上手く理解していないので、「必要のないことが引き寄せられて」、現実世界で知覚しているので、「引き寄せできない!」となるわけです。
ここから見えてくるのが、引き寄せの法則の役割は、意図の理解の擦り合わせ。この理解を研ぎ澄ませていくこと、つまり、「自分は本当に何を求めているのか」を明確に理解していくことで、より引き寄せの精度が増してくるわけです。
ですが、世の中にはこの理解を妨げる要因が沢山存在します。例えば、メディアやニュース、親や先生のしつけ、失敗から芽生えた自衛マインドなど…要因は千差万別なのですが、これらは私たちの「理解」(マインド)を妨げ、意図や意志の実現を妨げ、私たちの人生の充実であり、「引き寄せた感」を低下させます。
このようなマインドのクセを手放し、私たちの意図や意志を純粋に捉えて理解していくことは、もしかすると生涯をかけてやることなのかもしれませんね!
あまり深掘りすると、今回のテーマからかなり逸脱してしまいそうなので、引き寄せのお話はまた別の記事にして綴ってみようかと思います🐧
最後に
今回の記事では、「観測者」について深く見つめていきました。ここから解ったことは、私たちの体験する人生は全て意図して生み出されているということです。
そして人は誰しも、私たち一人ひとりが持つ意図や意志の理解を、生涯を通してより純粋なものにしていく、意識の成長の旅を歩んでいるということも解りました。
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ユウキ