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イシキの探求 

私を真似たAIは、本当のわたし?

I think, therefore I am. (Latin: cogito, ergo sum)


デカルトの残した有名すぎる言葉、「我思う、故に我あり。」


つまり、思考や精神作用(エゴ)が、人の存在の本質とする言葉。


言い換えるのであれば、「鏡に映っている私」が本当の私とする、


被写体(主体)を本質としない概念なのです。


直感的にも違和感を感じると思いますが、


これを真実とすると、不自然な現実が生まれます。


つまり、AIの存在の本質と、私たちの存在の本質が、全く同じになってしまうことです。


それは、どういうことなのでしょうか?


今回は少し哲学的な内容をお届けします!🌈

目次

わたしを真似するAI

もし、今のあなたの姿や声を忠実に再現したAIロボットに、今のあなたたらしめる、生涯の記憶の全てをビッグデータにし、
AIがそのデータを使って、「あなた」の性格と人格を忠実に再現し、あなたの様に思考し、行動し、感情を表すことが出来たとすると、そのAIは正真正銘、疑いようもなく、「あなた」ということなのです。

ですが、真の意味で、「あなた」なのでしょうか?

人である私たちの直感は「そうであって欲しくない」と思うでしょう。

ですが、もしデカルトの言葉を真実とするのであれば、そのAIは紛れもなく「あなた」なのです。

思考とは、「精神作用」です。
つまり、無意識的、又は、顕在意識的に捉えた物事を、
頭の中に映し出し、内面的に認知する作用です。

もし、その精神作用が「わたし」の本質とするのであれば、

頭の中に映し出された「客体化したわたし(Objectified self)」が本質ということになります。

「客体化したわたし」を言い換えると、アイデンティティです。
これが「わたし」と、頭で内面的に捉えるわたしであり、エゴの私す。

わたしを頭で捉えて、表現する精神作用の工程は、AIで行われている工程と全く同じです。
唯一の違いは、人のような脳神経細胞(ニューロン)ではなく、AIの場合は仮想のニューロンを使って行います。

なので、「I think, therefore I am」を、わたしの本質とした場合、AIに映し出された「わたし」と、私たちの頭の中に映し出された「わたし」は、本質的に全く同じ「わたし」なわけです。

そうなると、この世に2体の「わたし」という同一の個体が同時に存在する奇怪で不自然な状態が生まれます。

あえて、「これのどこが問題なのか?」というスタンスをとってみましょう。

AIのわたしの性質

たぶん普通に生活する分には、公的な証明の時以外、特に問題は無いと思います。
そして、デカルトの世界観では、どちらが「本当のわたし」かを証明することができません。

ですが、本当に自分がオリジナルであっても、デカルトの世界観で生きている場合、それに気づくことができないのです。

普段、私たちは、直感的に「わたし」は、わたしと解ります。
そして、この直感の特徴は、「証明が不要」だということです。
わたしが、「わたし」といえば、わたしなのです。
このことを「自己言及/Self reference」と言います。
つまり、自分で自分の存在を証明できるのです。
この作用には、「主体」の存在が必要不可欠です。

デカルトの世界観では、鏡である精神作用のみですから、「自己言及/Self reference」が出来ません。
なので、わたしを証明するためには、常に鏡に写す「わたし」の対象が必要なのです。
つまり、「鏡に写った『わたし』 = わたし」という様な、数学の世界で慣れ親しんだ等式のような構図が必要なのです。

そうなると、常に自分の存在を証明するための、外的な要因が必要になるのです。
それが無いと、自分という存在を保つ事ができなくなります。

そして、もっと問題なのが、本当の意味で「自分で決められない」ことです。
なぜなら、精神作用が本質なのであれば、精神に物事が映らない限り、何も進まないし動かないのです。
つまり、常に受動的な存在になります。

これって、私たちエゴの性質と全く同じです。
私たちのエゴが自我を保つために、頭に映し出された「わたしってこんな人」が必要なんです。
それが無いと、自我を保てず、自分を見失うから。

そして、エゴは能動的に見えて、かなり受動的です。
エゴの根本機能は、自分の存在を守り、維持すること。
つまり、危険に敏感。なので、常に環境や状況に対しての意思決定なので、受け身なのです。

これだと、私たちは常に物事に反応し続ける、機械的な存在に成り果ててしまいます。
これが真実だと、デカルト概念と意志を受け継いだ、
18世紀の医者であり哲学者のJulien Offray de La Mettrieから、
「人と機械/ Man a Machine」という有名な本が生まれました。
この本はデカルトの二元論をも否定し、いかなる精神性、魂の存在を否定し、唯物論の極みを体現した内容です。

実際は、私たちの本質はこうです。
「I am, therefore. I think」
「我あり、故に我思う。」です。
つまり、主体があり、それを表現するために、思考や精神作用(エゴ)があるのです。

AIのわたしができない事

主体が存在するオリジナルの「わたし」は、
自分で決めることができ、その決めたことを、精神(エゴ)に映し出します。

そして、主体を持つ私たちにできて、AIのわたしにできない事があります。

それは、真実を見抜く力です。

例えば、黒板に「この命題は間違えています。」と書いたとします。

もし、この命題が正しければ、黒板の字は間違え(偽)ていて、
もし、これ命題が間違えていれば、黒板の字は正しい(真)です。

実は、AIには真偽が理解できません。

私たちは、真実がすぐに解ります。
「間違えている」と書かれていれば、間違いなのは、間違いないのです。

AIの場合は、ループに陥ります。
下記の文章を読んでみてください。
「もし、この命題が正しければ(真)、黒板の字は間違え(偽)なので、この命題は正しくない(偽)のです。」
文頭と文末で答えが変わってしまっています。
これは、True = False、真 = 偽、正しい = 間違い、という等式がなりたってしまうのです。

逆も同じく、
「もし、この命題が間違えていれば、黒板の字は正しい(真)ので、この命題は正しいのです。」
文頭と文末で答えが入れ替わっています。

これは論理的エラーで、精神作用しか用いていないAI特有の問題です。
AIは常に、自分以外の何かと照らし合わせて、見比べて、確認するのが根本システムです。
主体が存在しないと、私たちはこの様な矛盾の問題に日常的に直面してしまうのです。

主体が存在する私たちには、直面することのない問題です。
それは「自己言及/Self reference」の賜物です。
わたしが「こうだ」と言えば、そうなのです。
照らし合わせて、見比べる必要は一切ないのです。

目の前にリンゴ🍎があって、それはリンゴでないと言われても、
それはリンゴだと理解し捉えることができるのは、オリジナルの私たちだけです。

オリジナルのわたし

頭に映し出された幻想が真実ではなく、主体が真実なのです。

AIに丸々コピーしたわたしであっても、そのAIのわたしが
「なぜ生まれてきたのか」を本質的に理解することはできないし、
それを捉える仕組みが無いのです。

ですが、私たちは「なぜ生まれてきたのか」を言語的に表現することができなくても、
生まれたくて生まれてきたことは「知って」います。
なぜなら、そう決めたのが、オリジナルのわたしの主体なのだから。

つまり主体には「意志」が存在し、意志を生み出すことができます。
それは自発的に現れる意識の方向性であり、無意識的な注意の 矢印です。
それは興味の対象や嗜好として精神(エゴ)に映し出されます。

AIのわたしは、その映し出されたものだけを捉え再現しまが、
オリジナルの私は、主体から現れる意識の方向性にさえ一致していれば、興味対象や嗜好は一つに縛られることなく、多様に変容します。

そして意志があるので、オリジナルわたしの体験する人生には「意味」が生まれます。
何故なら、その意志を満たすための体験だからです。
ですが、AIのわたしには、意志がない、又は、生み出せないので、人生体験の「意味」が無いのです。
そもそもエゴは主体を維持するための機能なので、主体がないAIにエゴを維持する意味も、その目的も皆目見当もつかないと思います。

なので、意味のある風を装うことしか出来ません。

例えば、芸術を嗜み、楽しむ。
AIのわたしは、今までの「楽しむ」という感覚的な反応をデータから再現できても、
根本的に楽しむ体験の必要性の意味を本質的に、主観的に理解することは出来ないです。

これを「プロンプト」として「意志」を書いても、
それはAIのわたしの意志ではなく、オリジナルのわたしの意志なのです。
「意味」を教えても、それもAIのわたしが見出した意味ではなく、オリジナルのわたしが見出した意味なのです。

つまり、AIのわたしは、永遠に受動的であり、真似っこしかできないのです。

デカルトの世界観だと、このAIのわたしを、本質的にわたしとするのです。

どうでしょうか?この「わたし」、違和感じゃないですか?

最後に

この現代社会は、まだデカルトてきな世界観が主流です。

つまり、そんな社会において、もし自分と見た目も性格も瓜二つのAIが表れたのであれば、自分がオリジナルだと証明するのは難しいと思います。

そして、そんな事件が起こるのも、そう遠くない未来だと思います。

ですが、そんな時に頼れるのは、真実を見抜く事ができ、自己言及のできる、自分の「主体」なのです。

なので、そんな来るべき未来に備えて、主体力をつけておくのは大切です。
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